白拍子の装束
(Shirabyoushi)

文責 (Author): 椎路 ちひろ (SHIIJI Chihiro)
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[2000.04.02花見写真]

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[Photos in Hanami 2000.04.02]


装束の写真 (Photos of Shirabyoushi)

1999/11/20撮影。撮影に当たってはとしみず氏と 樹秘氏に協力していただきました。

折角の珍しい装束なので 着付けについてのメモ「白拍子の装束の着方 (How to dress Shirabyoushi) 」と、 衣装に関する歴史的な事項等に関するメモ「歴史的背景 (Historical Backgrounds) 」も作成してみました。 まだまだ勉強不足で色々と不備があると思います。 もしお気づきの点などがございましたらメール( chihiro@nerimadors.or.jp )ででもご指摘いただければ幸いです。

背景が暗くて烏帽子が見難いのが反省点です。
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歴史的背景(Historical Backgrounds)

コミックス等で見かける袖の切れた白衣の巫女装束の原型と思われるのが、この「白拍子」の装束です。

白拍子については、手元につい先日届いた「日本女性服飾史」によると、 「奈良時代には遊行女婦と呼ばれ、巫女が神性、司祭性を失って流浪して娼婦性を発展させ 平安時代以降は言葉を縮めて遊女と呼ばれた。平安時代の遊女には教養もあり・・・ (中略)・・・港町の遊女は平安時代末頃から『白拍子』の名で男装の舞妓として 新興の武家の間で脚光を浴びるようになり・・・(以下略)」 とあります。有名な白拍子には源義経関連で有名な「静御前」などがいます。

さらに同書によると、白拍子は男装(立て烏帽子、単、水干、紅長袴に太刀、蝙蝠(扇の一種)) の舞妓ということで、巫女風(紅の長い袴)と少年風(菊綴じ付の水干)の装いを ブレンドしたような格好をしています。つまり、男装の麗人なんで凛として見えるのも 頷けるというか、恐らくは、そう見えるように巫女のテイストと武家の少年のテイストを 半ば意識的にミックスしてコーディネートされた衣装なんでしょう。

ここで出てくる水干とは、本来は水で洗って張っただけの(糊を付けない)絹の布のことです 後に、これで作った'狩衣'のことを'水干'と称するようになったようです。 ちなみに狩衣とは、正装である衣冠束帯における袍のの中でも厥腋の袍(腋を縫わない袍)が簡略化されたもののようです

戦巫女や闇雲神社の那魅などフィクションに表われる巫女さんの装束がこのスタイルなのは、 彼女らが設定上「戦う巫女さん」だから 女装の正装では戦いにくいから、必要に迫られて男装の正装(水干)なんだ という解釈もできるかも知れません。(作者の真意はわかりませんが。)

付録: 下着としての白衣と小袖

もともと白衣(着物の「小袖」の形になったのは平安時代中期頃らしいです)も朱袴も下着で、 正装する際はその上に何らかの装束をつけるものだそうです。 言いかえると下着ということで白衣はフル装備の舞装束では見えなくなってしまうものなのです。 (朱袴は正面の合わせからちょっとだけ見えていますが。) 白拍子の装束においても襟元から僅かに覗くだけです。 白衣や朱袴が下着などと書くと驚かれるかもしれませんが、以下に下着であったそれらが表着に 変わってしまうことが珍しくないことについて述べます。

洋の東西を問わず昔は今と比べて: 1)エネルギー源が少なかったので重ね着で防寒 2)工業技術が未発達なので布が今よりも貴重品 ・・・という事情から豊かな人が豪華な暮らしを追求すると重ね着ファッションになるんですね。 その上、裾も長くなりやすいのです。だから豪華な装いは重労働になりやすいのです。

一方庶民は布をふんだんに使うのは難しいし、働かないといけないので下着に類するもので 日常生活を送ることになるのです。 また、身分の高い人手も公の場でなければ正装する必要がないので、夏場など軽装でいい場合は 下着姿(例えば小袖と袴)で過ごすようなことも不自然ではないわけです。

さらに、これは個人的な印象ですが、日本は欧米に比べると高温多湿であり、 元々肌を出すことに対する宗教的拘束は緩いように思います。 従って白衣+朱袴が「下着」といっても、欧米の影響下にある現代の下着よりは見られることに 抵抗は薄いのではないかと思います。

また一般的な話として、衣服の歴史では、肌着・下着の類が上着に昇格するという現象は 度々繰り返しています。 例えば、古くは十二単の単や袴は下着でした。 もっとも奈良時代の初期まで、褌は(古くは褌と書いて「はかま」と読む) 下着らしくもっと短かったようですが・・・。 また例えば、フランスでもナポレオンの時代にはやっぱり下着だった衣類が シュミーズ・ドレスとして表に出てきています。 そして現代でも下着ファッションといってキャミソールで表を歩くようなこともあるわけです。

思うに、表の衣装が豪華になるにつれて、着ることそのものが重労働になって簡略化に走るとか、 革命的な社会の変化で成り上がったものの日常着(しばしば下着に近縁)が表の装束なったりということが 起こるわけなのでしょう。

さて現代において、巫女の白衣はかつては下着や庶民の装束であった小袖ですが、 神社で雑用をこなしているときはハレの場でないので正装する必要がないから 構わないのだとも言えるかも知れません。

参考文献等

日本女性服飾史、井筒雅風 著、光琳出版 刊 ISBN4-7713-0096-8 C0371 P3914E
カラー版世界服飾史、深井晃子 監修、美術出版社 刊 ISBN4-568-40042-2 C3070 \2500E
黒髪.com、http://www.kurokami.com/~yui/syouzoku.htm
巫女装束研究所、http://www.miko.org/~tatyana/