追悼
田中二郎
2008年6月6日、氷室冴子さん(本名:碓井小恵子)が、51歳の若さでおなくなりになりました。
●皆様へ
6月9日のお通夜、10日の告別式には、多数の方にきていただくことができ
ました。氷室さんになりかわり、お礼申し上げます。
献花されたお花は、1輪ずつではありますが、全部、棺に入れさせていただ
きました。氷室さん宛のお手紙やレモンも、棺に入れさせていただきました。
時間の都合で間に合わなかったものは、ご遺族にお渡ししてあります。
ネットで、特に「氷室冴子 9」スレなどに書かれたものなども、ご遺族が
読めるようにしたいと思います。(なるべく把握したつもりですが、他のスレ
やまとめサイトなど、お気づきの方、↓のメールでお教えください)
また、直接メッセージを…という方は、ここからメールをお送りください。
saeko@nerimadors.or.jp は、生前、氷室さんが使っておられたアドレスです。
メッセージはご遺族にお渡しするほか、私の方から氷室さんに、墓前で報告
したいと思います。
追記:メッセージ等をご遺族にお渡しするのは、御仏前にお供えしていただく
ためです。
●思い出
「親指*1使いの人なんだけど、パソコンを買おうと思ってるの。相談にのって
あげられる?」と、新井素子さんから紹介されたのが、10年にわたる氷室さん
とのおつき合いのきっかけでした。
大作家を大作家とも思わぬ私の態度がお気に召されたのでしょうか、以来、
プライベートでのおつき合いを続けさせていただきました。一時は毎週、とき
にはそれ以上の頻度でお邪魔しては、色々なお話をし(どちらかというと、私
が聞く一方)、また、色々なことをさせていただきました。
急なお電話をいただいたのが、2005年4月12日。2月頃から気管支炎〜肺炎
と伺っていただけに、びっくりでした。以来、QoL の向上を主眼に、色々お手
伝いをさせていただきました。
闘病中でもそれまでのパワフルさはかわらず、お体の調子のいい時には海外
旅行や温泉めぐりなど、積極的に人生を楽しまれていました。特にヨーロッパ
や仙台などへの旅行の後にお邪魔したときには、どれほど楽しかったかを、力
強く語っておられました。
最後のお手伝いがこのようなことになってしまったのは残念ですが、本人が
色々セッティングしたものを、なるべくその遺志に従ってやらせていただきま
した。ただ、「せいぜい100人ぐらいでしょう」と、参列者の数を少なく見積
もっていたのは、氷室さんの甘いところでしょう。
9日のお通夜は雷雨でした。昼ぐらいまでの雨もあがって日が差し、蒸し暑
くなってきたところで、「暑いなぁ」と皆で言っていたので、きっと氷室さん
が「じゃぁ、涼しくしてあげるわよ〜」と雷を呼んだのでしょうか。それとも、
皆が氷室さんの話をしているのに、自分だけ加われないので、代わりに雷鳴で
参加したのでしょうか。
皆で話すと、きまって「いい人だったねぇ」ではなく「楽しかったね」とい
う話になります。それぐらい氷室さんという人は、明るく楽しくパワフルな人
でした。これからも、私たちの心の中には、氷室さんの笑顔が輝きつづけるこ
とでしょう。
2008年6月10日 田中二郎*2
●最後のこと
お姉さんからお電話があったのが、2日(月)の昼休みでした。なんか、そ
ういう予感がしてたのですが、まさに的中。意識がなくなったとのこと。
午後イチの仕事をおえてすぐ自宅にとってかえし、色々な準備をして病院に
かけつけました。以前からご病気のことを知らされていた皆さんも来ておられ
ました。
夕方になっても容態が落ち着いているということで、とりあえず解散かな…
と思ったのですが、ずっと面倒を見てくださっていた看護士さんのお言葉に従
い、残ることにしました。とりあえずその晩は私が担当ということで、一晩中
手足をさすったり、アイスノンを交換したりと、お世話させていただきました。
翌日は、いったん帰られていたご友人などと交代し、私は仕事へ。夕方、ご
友人から「落ち着いている」とのお電話をいただき、少し安心しました。
土日は私が泊まりで面倒をみさせていただきますとの連絡を入れたのが5日。
そして6日の朝、お姉さんから電話が入りました。安らかな最後であったとの
こと。すぐに知り合いの作家さんなどにも連絡を入れ、私は午後の仕事をキャ
ンセルして、お寺に向かいました。
氷室さんは3年前に病気がわかり、それ以来、入退院をくりかえしながら治
療されていました。去年の秋からは緩和ケアのある病院をメインに、抗がん剤
や放射線治療を続けていました。痛みも薬でコントロールし、体力回復に努め
ていました。しかし、この春からは積極的な治療ではなく、緩和ケアに重点を
おいた治療へとシフトしていきました。
いつかはともかく、ご自分の命が限られていることを知られてからは、お墓
や戒名の手配、口座や色々な会員カードなどの整理などもなされ、ご自分の葬
儀の打合せを葬儀社の人とする…というようなことまで、しっかりこなされま
した。決して悲観的になることなく、最善と思われる道を進まれました。
ただ、私への最後のメールでは、また何か頼みたいことがあるようなことを
書かれていましたが、今となってはそれが何だったのかは、謎のままです。
2008年6月12日記す
追記:氷室さんが頼りにされたのは、もちろん私だけではありません。私は、
ほんの少しだけ、お手伝いさせていただいただけです。誤解のないように。
●音楽のこと
氷室さんがお元気なときは気にしなかったことなのですが、病床に臥せるよ
うになってから、思わず頭の中で口ずさんでいる曲がありました。それは、ロッ
ク・オペラとして名高い「ジーザス・クライスト・スーパースター」(1973年
米・元はブロードウェイのミュージカル)という映画のの中の「Everything's
Alright」という曲。
そして、氷室さん亡き今はアニメ「マクロスF」のEDである「ダイアモンド
クレバス」が、頭の中でぐるぐるしています。まだ何か、ふっきれないですね。
左は、貸金庫の中から出てきたカード 2008年7月17日記す
●お墓のこと
昨日、四十九日の法要・納骨を済ませました。お墓は龍善寺にあります。
(ご遺族・ご住職の了解を得て、公表させていただきました)
お線香などは、お寺にあります。お供え物はご遠慮下さい。手をあわせてい
ただくだけで結構です。本堂右手の東側区画墓地、7本目の通路を左へ入って
少し。左の写真のお墓です(クリックで、超拡大)。「倶会一処」(くえいっ
しょ)と刻んでいます。
2008年7月22日記す
●お参りのこと
先日、お墓にお参りしてきました。ファンの方もお参りしてくださっている
のか、お花が供えてありました。持参したビールをお供えし、その後、いただ
きました(北海道では、お供えした酒も、まわし飲みするそうです)。
皆様からいただいたメールなども、プリントアウトして墓前に供えさせてい
ただきました。もっとも、そのまま持ちかえってきましたが。
この週末は地方から上京される方も多いでしょうが(^^、お墓を間違えない
でくださいね。花の絵(たしか、ジブリの近藤さんの絵:うろ覚え)と、氷室
さんのサイン(墓石業者さんのすすめで入れたそうです)が目印です。
2008年8月13日記す
●ひとくぎり
先日(9/13)、東本願寺において須彌壇収骨をしてきました。お寺への集合時
刻前後には大雨でしたが、法要が終る頃には青空が広がり、京都特有の暑さが。
これで、氷室さんにいわれていたことも、ひとまず完了‥‥ってとこですか。
東京までお墓まいりにこられない方でも、東本願寺へお参りください。
その後、私は京都土産を求めて烏丸御池〜四条烏丸あたりを徘徊、亀末廣の
お菓子と善哉、齋造酢店のポン酢を入手して、お茶して帰ってきました。
このサイト宛に、偲ぶ会などを開いてください…というご要望もあるのです
が、わざわざ開くのも‥‥。どうか、皆様で折にふれて氷室さんのことを思い
出していただければ幸いです。
2008年9月21日記す
氷室さんの残されたものは、以上です。
残された白い原稿用紙‥‥それを埋めるのは、あなたです。
皆様も、氷室さんにまけない素晴らしい人生をおくってください。
左は、特注の原稿用紙(クリックで超拡大) 2008年9月22日追記
●お家のこと
今日、お家に別れをつげにいってきました。なかなか面白い作りのお家でし
たが、さすがに古くなったし、使いづらい部分も多いことなどから、取り壊す
ことになりました。色々なこと、それこそ「ずいぶん面白いお付き合い」の場
であっただけに、ちょっとしんみりしてしまいました。⇒Google Street View
階段をあがってはいる1階は、台所と広いリビング。大きな窓が特徴です。
ビデオのキャプチャにある「世田谷 自宅 窓辺にて」も、この窓です。
2階は寝室(ロフト付)とストックルーム、それにお手洗い。地下に大きな
お風呂(サウナ付)があります。駐車場の左側にも、リビングから降りれる書
庫が増築されています。結構大きな家に見えますが、奥行があまりありません。
氷室さんとは、リビングで話たり、食べたり、飲んだり‥‥色々な思い出が
あります。長い時を過ごしたこの家とも、もうお別れです。
2008年10月20日記す
●お誕生日のこと
今日は氷室さんの52歳のお誕生日。だからといって、生前、特別何をするわ
けでもなかったのですが‥‥
2009年1月11日記す
●偲ぶ会(告知)
1周忌にあたる2009年6月6日午後3時より、法要ならびに偲ぶ会を考えて
います。場所は龍善寺です。何人ぐらいの方が参加してくださるでしょうか?
「参加するぞ〜」という方は、メールをいただけますでしょうか?
2009年4月9日記す
追記:多くの方からメールをいただきました。とりあえず締め切らせていただ
きます。メールをいただいた方には、追って御連絡さしあげます。
●ご本
氷室さんのお家にあったご本は、私の職場の図書館に寄贈させていただきま
した。図書館は、一般の方にも解放しています。ご本人のサインのある本もあ
りますので、色々探してみてはいかがですか?
(司書の方に整理をお願いしたら、立派なリストを作ってくださいました)
2009年4月26日記す
●偲ぶ会
2009年6月6日、15時より一周忌法要。続けて偲ぶ会を、龍善寺でとりおこ
ないました。ファンの方々30名に、葬儀委員長をしていただいた菊池秀行さん、
作家の新井素子さんご夫妻、まんが家の藤田和子さんや生前氷室さんのご友人
だった方々を交え、40余名の方がご参加くださいました。
一周忌法要では、住職のお話にすすり泣く声が聞こえましたが、一転、偲ぶ
会では、氷室さんの過去話で盛り上がり、時には爆笑する場面もありました。
参加された皆様、ありがとうございます。また、今回来られなかった方々の
ために、来年も同様の集まりを考えております。毎年6月第一土曜日を、偲ぶ
会の開催日としたいと思います。どうか、カレンダーに印をつけておいてくだ
さい。
2009年6月6日記す
●『氷室冴子さんからの贈り物』
学園祭にあわせて、企画展示をおこないます。
多数のご来場をお待ちしております。
■展示企画「氷室冴子の世界 〜寄贈本と思い出の品〜」
場所:日本橋学館大学図書館内(参加無料)
期間:2009年9月16日(水)〜10月30日(金)
開館時間:9:00〜18:00(但し、土曜は12時まで。日曜・祝日は休み)
企画内容:寄贈本の閲覧・貸出(コミック関係は閲覧のみ)・愛用品の展示
※10月24日、25日の学園祭期間中は、9:00〜18:00のあいだ開館しています。
■氷室さんを偲ぶ一日
場所:日本橋学館大学 612.613教室(参加無料)
日時:2009年10月24日(土)13:00〜14:00
企画内容:「思い出を語る会」(鼎談)山内直実・藤田和子・新井素子
お宝映像放映:11:00〜16:00 ※10月25日(日)も映像を流します
■問合先:日本橋学館大学図書館
Tel.:04-7167-8655(代)
住所:千葉県柏市柏1225-6 ⇒Google Map
library@nihonbashi.ac.jp
http://www.nihonbashi.ac.jp/library/
2009年9月17日記す
・10月24日の「思い出を語る会」に、山内直実さまも参加してくださいます。
2009年9月30日追記
・読売新聞の取材をうけました。いつ掲載されるか判りませんが‥‥
あと、何人かの方が、図書館に来てくださったようです。
ありがとうございます。当日も、お待ちしております。
2009年10月16日追記
・載っちゃいました。⇒読売新聞(元リンク切のため画像@日本橋学館大)
2009年10月23日追記
・沢山のご来場、ありがとうございました。
載っちゃいました。⇒千葉日報
2009年10月25日追記
・展示企画、お問い合わせが多いようで、当分続けることになりました。new!
平日と、一部土曜日(午前中のみ)の開館ですが、いらしてください。
カウンターにひとこと言ってくだされば、お相手できるかもしれません。
2009年10月30日追記
●メモリアル/リンク
告別式の写真*3
メモリアルコーナーで流したビデオのキャプチャ*4
個人サイト・ブログ
⇒斎宮歴史博物館
⇒8703の部屋(2008.6.7〜6.13、6.28、7.24)
⇒かのろぐ(加納新太さま)
新聞など
→朝日新聞
→MSN産経ニュース
→47NEWS
→47NEWS
→京都新聞
→京都新聞
→読売新聞
→読売新聞(海がきこえる)
→ZAKZAK
→本よみうり堂
お寺、葬儀社
→龍善寺
→メモリーサービス
■逆リンク
■購入可能な書籍
●追いかけ中
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*1:富士通のワープロ「OASYS」で使われた親指シフトのこと。
パソコンでも、ソフトと専用キーボードで、ほぼ同じ環境が構築できる。
*2:本業は大学の先生。アニメ雑誌には記事を書いていただけです。
*3:もっと写真を…と思っていたのですが、撮影する気力がありませんでした。
*4:ご遺族の方から、ご遺影とビデオをお借りしました。