地球のR[あーる]き方 イギリス編
- 1990年・夏
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- あとがきにかえて
不思議英国ワンダートラベル
そのハガキをくださったのは、めるへんめーかー先生でした。
もう恒例となっておられるのでしょうか、春と夏のシュラ場の間に毎年行かれている英国旅行。
美しい夕暮れの湖のカードの消印は Windermere でした。
この一枚の絵ハガキが私の中に炎を燃え上がらせたのです。
もともとイギリスに行きたいという気持ちは昔からあった。
「ツバメ号とアマゾン号」は幼い私の心に多大なる影響を与えたものである。
また、プリズナー・コンベンションが『村』であるという情報を、alt.tv.prisoner でキャッチしていたのも、炎が燃え上がる原因ともなったのだ。
「行くぞ!」と決めたのが7月18日。
パスポート取得のためには、戸籍抄本が必要である。
親になんと言おうか…結局、何も言わずに「戸籍抄本一枚!」と言った。
もちろん、後で問い合せの電話があったけど(悪いことはできませんね)。
飛行機のチケットの手配や、プリズナーのファンクラブへの問合せ、クレジットカードの手続き、ブリットレイルパスやトラベラーズ・チェックの購入、カメラの新調…と、あたふたしているうちに、あっという間に出発の予定日は近づいてきたのである。
もっとも、その前にはコミケという、夏の大イベントが控えていたのだが。
サークルの手伝いの他に、個人誌を創るという無謀なことをやってしまった私だったが、なんとか無事に終ることができた。
日頃の行いが良いからであろう。
もっともサークルの本の発送は友人に任せてしまったが…。
そして、日本での夏は、幕を閉じたのである。
♪さあ、出発だ。
今、日がのぼる。
ポンチョに夜明けの風はらませて〜
と、マルコやるまでもなく、出発である。
5時に起きる(夜中に蚊に悩まされていたけれど…)。
30分ほど歩いて(こんな早朝にバスはない)綱島駅から電車に乗る。
中目黒で乗り換えて地下鉄上野まで計約1時間。
京成上野から7時すぎの特急に乗って80分、京成成田着である。
さらにバスで数分。
成田空港に到着したのは8時半だった。
ツアー会社のカウンターを探して、航空券を受取る。
これでホッと一安心。
実は、ツアー会社からの案内等を一切もらっていなかったのである。
すぐにチェックインして、出国手続にむかう。
(それにしても空港使用料二千円って、ずいぶんだと思いませんか?しかも、出国係官に挨拶したのに、無視されたのは納得でき〜ん!)
10時すぎ、いよいよ飛行機に搭乗である。
マレーシア航空MH81便、機体はA−300、席は16Fである。
ここで地図を見てみよう。
成田からクアラルンプールまでは約六千キロ、さらにロンドンまでは約一万二千キロもある。
ヘビじゃないが、「長い、長すぎる」。
席について20分ほどしたら(まだドアも閉っていないのに)おしぼりサービスが始まった。
ドア閉め、プッシュバックの間に、キャプテン・スピーチがある。
マレーシア語だろうか?理解不能な言葉であるが、すぐになまりのひどい英語が続く。
つづいての非常用設備の説明は、さすがに英語だった…(そして日本語でも。
さすが日本発!)
10時57分、JALのジャンボ、スイス航空のDC10につづいて、テイク・オフ。
こうして、私は機上の、そして雲上の人となったのである。
バンザーイ!
離陸してすぐに、ピーナツと飲物のサービスである。
さすが国際線、国内線とは違って、ビールやウヰスキーが出てくる。
当然、ビールをとる。
同時にマレーシアの入国カードが配られるが、これは必要なものなのだろうか?(結局これは必要ないものだった)
そして、約1時間で昼食になったのだが、ちょっとハプニング!というのも、ビーフとチキンの選択だったので、チキンを頼んだのだが、なかなか出て来ない。
なんと乗務員が、すっかり忘れていたのだ(まわりは、みんなビーフだった)。
飲み物を配りにきたときに気付いて「アッと驚く」顔をして、あわてて持ってきたものはビーフだった。
どうもマレーシアの鶏は、モーモーと鳴くらしい・・・
成田を飛立ってちょうど5時間で、第一の寄港地、コタキナバルに到着。
マレーシアの東の端っこである。
日本との時差は1時間なので、今は午後3時ということになる。
外気温32度とはいっても、東京よりは涼しいし、なんといってもクーラーがきいてるのが嬉しい(当然か)。
50分ほどでコタキナバルに別れを告げて、次の寄港地クチンにむかう。
約1時間のフライトなのに、軽食が出た。
さすがに、今度はトラブルなしである。
クチンは、アナウンスでは晴れといっていたのに、すごいシャワーである。
待合室の屋根に、バケツをぶちまけたような雨が降っている。
クチンを飛立って、またまた食事がやってきた。
1時間半でクアラルンプルに到着。
さて、次の飛行機はどこだ?アナウンスでは二階の6番ゲートとか言っていたが…とにかく係員に聞く!これが大事だ。
そして無事、次のチケットをもらい、チェックインも済ませる。
MH2便、席は32C、機体はB747−400コンビである。
行先表示がDBX/LHRとなっているところを見ると、ドバイにも寄るのだろうか?(本当に何も知らないヤツ)
現地時間の夜10時すぎ、三日月に見送られてテイク・オフ。
例によって、ピーナッツをビールで流し込む。
そして4度めの機内食。
さすがに食欲がない。
が、パンは美味しい。
6時間飛んでドバイ着。
なんとも広い飛行場だ。
それにしても、ターミナルまでのバスの運ちゃんはターバン巻いているし、職員はイスラムの服装だし…ホント異国だなぁと思ってしまいました(案内のモニタもアラビア語版がある!)。
それにしても、暑い!湿気も多いのか、メガネがくもって何も見えない。
約1時間半の、中東滞在である。
そして、軽食(ケーキ&お茶)や朝食(ステーキ/オムレツ)を食べさせられながら、約7時間でイギリスのヒースロー空港に、タッチ・ダウンしたのであります。
午前6時の入国審査は意地悪である。
お金をいくら持っているか、誰の金か、どうやって稼いだか…質問して、答を聞いては、しばし考え込む。
これでは時間がかかるのも当たり前じゃないか!(飛行機から降りたら、さっさと歩いて入国審査の列に並ぼう。
列の最後では、何時になるかわかりませんよ)
イミグレを抜けて、預けた荷物がない私は税関に直行。
ところが、係員がいない!ゲートらしいところを抜けると、もう出口である。
出迎えの人々が、カードを持ったりして、こちらを見ている。
さて、ロンドン市内へは、どうやって行けばいいのだろうか?今日中に湖水地方へたどりつけるだろうか?
ヒースロー空港の地下鉄の駅は、ターミナルから遠い!UNDERGROUND の表示に従って、動く歩道のある地下道をズンズン歩く。
駅にたどりついて、路線図を見て、とりあえずの目的地である Euston 駅を確認する。
値段がわからないし、お金の区別ができないので、窓口で「ユーストン」と言って、コインをジャラジャラと出す。
これが一番楽なやり方だが…£2・10でした。
ロンドン市街に近づくまで、電車は地上を走る。
朝霧にけむるロンドン。
単に赤い円盤だった太陽が、黄色味をおびてくる。
約50分で King's Cross 駅に到着だ。
ここで、 Piccadiliy 線から Northern 線に乗り換える。
イレズミしたおじさんもいるし、ウォークマン兄チャンもいるし、何だか大阪の地下鉄のホームにいるようだ。
それにしても、ロンドンの地下鉄の駅は迷路みたいだ。
標識がちゃんとしているから良いものの、初心者だと、確実に迷子になるね。
しかも、地下の通路は一方通行になっている場合が多いので要注意。
(私は大阪の地下街で鍛えているので、全然迷わなかった)
そう、日曜日というのがイギリスではクセ者なのである。
なんといっても列車の本数が極端に少ない。
湖水地方への列車は13時発。
その次は1525発になってしまう。
しかも13時発の列車の座席指定は満員だという。
とりあえず1525発の列車に席を確保したが、これでは到着が20時すぎになってしまう。
そうなると、宿を今のうちに確保しておかなければ…と思い、 Victoria 駅のインフォメーション[i]にむかった。
このインフォメーション(正確には Tourist Information Centre という)は非常に便利なもので、旅行案内に限らず、宿の確保、チケットの手配等、何でもやってくれるのである。
ただし[i]にもローカルなサービスしかしていないところとがあるので、要注意だ。
そして、ビクトリア駅の[i]は、ロンドンの宿しか予約できないのであった。
Piccadiliy Circus 駅の周辺には、Wales、Scotland、Northern Ireland の観光局(Tourist Board)や、英国観光庁(British Tourist Authority・BTA)の[i]がある。
地図で場所を確認して、歩いて探すことにした。
約1マイルの距離だが、途中には Green Park や、 St.James's 公園がある。
そして、 St.James's 公園でリスを見た。
灰色の毛のフサフサしっぽ。
水辺の柳の枝へ…細い木の前へ…そして手前の柳の木の中へ…近くには来てくれなかったけれど、みんなが感激するのがよくわかる接近遭遇だった。
ようやくたどりついたBTAの、ホテル予約のおじさんには「ダメだよ。
この時期はホリデーだから、どこも予約でいっぱいだ」と言われた。
なんと、明日も休日なのか…こりゃダメだ…やっぱり事前の下調べが必要だったなぁと反省しつつ、[i]のお兄さんと問答。
「ウィンダミアの[i]の電話番号が知りたい」「何するの?」「B&Bの予約」「ちょっと待て。
私がやってあげよう」こうして親切なお兄さんは、悪戦苦闘の末に予約を取ってくれたのである。
(もっとも、£19もする宿だけど…)ありがたきかな、[i]は。
ホッとひと安心したので、先ほどの公園に戻り、気持ちの良さそうなベンチでひと休み。
リスさんも出没する。
おお!あれに見えるは Big Ben ではないか。
地図を見る。
そういえば来る途中にあったのは Buckingham Palaceだったし、騎馬の一団が向っていたのは Horse Guards ではないか…
ようやく『観光』する余裕が出てきた私は、Big Ben からテムズ川ぞいに歩く。
向う岸に見えるのは何だろう?それにしても観光客だらけだなぁ…あ、私もその一人か…と思いながら、テムズ川に浮かぶボートをぼんやりと見つめていたら、Big Ben が正午の鐘を鳴らした。
イギリスの鉄道の幹線には、 Inter City (IC)という、日本の特急に相当するものがある。
一等車やビュッフェがあり、食堂車が連結されている場合も多い。
これが時速125マイル(200キロ)で突っ走るのである。
さて、 Euston 発13時のICの座席は予約で満席であったが、新幹線と同じと考えて、とりあえず乗車して空席にすわる。
これは大正解で、出発時の乗車率は9割ぐらいだった。
30分ほど走って、複線になる。
それまでは複々線だったり、それ以上だったりした。
単に田舎なだけなのだろうか、イギリスは緑が多い。
それに、駅の近くには同じスタイルの家が並んでいる。
まるで、日本の文化住宅みたいだ。
駅と駅の間には牧草地が広がり、牛や羊や馬が、のんびりと放たれている。
駅舎も赤レンガ造りで、古くて汚いけれど、使えるうちは使ってやろうという精神が感じられる。
単にカネが無いだけかもしれないが…
4時間走って、Oxenholme 着。
乗換である。
それにしても、まぁ日本人が多いこと。
上り下りの列車を待って、 Windermere 駅までの単線の線路をディーゼル・カーが発車する。
約20分で、あこがれの Windermere 到着である。
駅をちょっと回り込んだところに、[i]がある。
ロンドンの[i]でB&Bの予約は取れたが、もっと安い宿を求めて[i]のおばさんに聞く。
なんとユース・ホステルに空きがあるという。
ちょっと遠い(約2マイル)が、B&Bをキャンセルして、YHにむかって歩き出す。
山道も通って、約50分かかったが、途中のにはステキな教会があったりして退屈しない。
ちらりと見える湖に、ついに来たんだなぁ…と感激にひたる。
すこし疲れたようので、早めに休む。
これが私のイギリスでの第一夜だ。
さて、ここで湖水地方の説明をしておこう。
桂冠詩人ワーズワースの故郷、ピーターラビットで有名なベアトリクス・ポターが晩年を過したところ、そしてアーサー・ランサムの作品の舞台となったところである。
『イギリスの箱根』などと言う人もいるが、なんといってもウィンダミアなのである。
「不思議英国」波多野鷹・めるへんめーかー(白泉社)より引用してみよう。
なにせ、ウィンダーミアなのである。
アーサー・ランサムという作家がいる。
十二冊の児童文学を書いた作家だ。
ケンドルにある、アボットホールには、ゆかりの品々も展示されている。
最初の、『ツバメ号とアマゾン号』が発表されたのは、一九二九年。
十二冊は日本語にも訳されているが、特にその一冊は、岩波の少年少女文庫にも収録されていたから、図書館等で読まれた方もあるだろう。
その物語の中で、子供たちが『海』と呼びならわしていたのが、ここウィンダーミアと、隣のコニストンのふたつから創造された湖なのだ。
ウィンダミア湖については、さらに「あの湖につづく空」波多野鷹(集英社・コバルト文庫)より引用する。
ウィンダーミア湖は長さ十七キロ、幅一・六キロほどもある大きな、イングランドでは最大の自然湖で、ほぼ南北に細長い。
駅と、ウィンダーミアの町は丘の上にあって、湖までは車で十分ほどかかる。
駅から真っ直ぐ下りて、湖に突き当ったところがボウネス Bownessの町、ほぼ真ん中あたりの東岸、ヨットハーバーが立ち並んでいる。
湖の北端と南端には、それぞれウォーターヘッドWaterhead とレイクサイド Lakeside の町があって、ボウネスを経て連絡船で結ばれている。
連絡船は数百トンはありそうな大きなもので、国鉄 British Rail が運航している。
ちゃんと、時刻表にまで載っている。
ボウネスからはもうひとつ、オープンデッキの小さなフェリーが、対岸との間を往復している。
対岸に町はなく、湖でとぎれる国道B5285をつなげているのだ。
この二冊の本は、なかなか良いので一読されることをオススメする。
もちろん、ランサムの十二冊も、ぜひ読んでいただきたい。
朝6時に目覚める。
YHの窓から見える湖に自然と顔がほころんでしまう。
朝露(雨?)に濡れた庭に出て、小鳥の声に耳をすます。
ほんとうに気持ちのいい朝だ。
おもわず、ラジオ体操なんかをしてしまった。
朝食はイギリス式である。
目玉焼にベーコン、茹でたトマトに、こげたトースト。
たっぷりミルクの紅茶がおいしい。
YHを辞してウィンダミアの[i]に行き、次の宿を予約する。
とれたB&Bに荷物を置いて、さっそく探訪開始だ。
少し雨がパラついているが、あんまり気にならない。
ゆるいが長い坂を下って、ボウネスに出る。
そして…そして、湖に手を入れた。
全然冷たくない。
モーターボートの波が打ちよせる小さな石の湖岸。
水草が打ち上げられている。
ついに来たんだなぁ…と、感慨ひとしおである。
フェリー乗場にむかって、日が照り始めた遊歩道を歩く。
このフェリーは、人・車兼用で、フェリーというよりは、巨大なイカダみたいなものである。
対岸との間にワイヤが(水中に)張ってあり、それをプーリーで引っ張って進む。
数分で湖を渡り、対岸には乗り上げるようにして接岸した。
てくてくと道をあるく。
道は湖岸を離れ、丘を登っていく。
ふりかえると湖がキラキラ光って美しい。
湖が見えなくなるころ、そう20分も歩いただろうか、 Far Sawrey という村に着く。
村といっても、何もないところだ。
牛や羊が草を喰んでいる。
遠目にみるとのどかな風景だが、近くによると、草を喰む(というより、ひきちぎる)スゴイ音がする。
う〜ん、パワフル。
さらに20分ほど歩いて Near Sawrey村に入る。
長い登り坂で息が切れかけていた私の眼前に、広い牧草地が広がった。
教会もある。
ふーっと、深呼吸。
そして Hill Top に到着した。
とりあえずパブで昼食にする。
ぼーっと窓の外を見ていたら、昼寝をするのによさそうな樹を発見。
ポターの家は日本人のオバさん連中が山盛りなので、ちょっとパスして、脇道をちょっと登ったところで、休憩。
風が気持ちいい。
それにしても、この脇道を下りてくる人たちは、何処からくるのだろう?という疑問を持ってしまったのが、いけなかった。
ポターの家をほっておいて、道を登り始める。
牛留めの柵があるが、それを越えていく。
自転車でくる人たちもいる。
15分ほど登ったところに、小さな湖が…気持ちよさそうだなぁ。
ここいらは放牧地になっていて、羊がメェーと鳴いている。
トンボも飛んでいる。
本当に絵のような風景だ。
羊の通り道のような道ぞいに、いくつかの湖をあとにして、さらに柵を越えたりして森にはいる。
森を抜けたところで道が少し広くなり、道標もあった。
距離が不明なのが難点だが、この道は Hawksheadへ続いているらしい。
しばらく自動車も通れそうな広い道をいくが、左手に入る細い道を発見。
道標が折れて、木に立てかけてあるが、それを信用すると、この道が Hawksheadへの道らしい。
自転車の三人組に会う…が、ぬかるみ、水たまりのひどい道!はたして今日中に帰れるだろうか?森の中を下りはじめて、また湖に出合った。
ゼェハァと休憩を取りながらも、ひたすら歩く。
上空をジェット機が、飛行機雲をひきながら、気持ち良さそうに飛んでいく。
いいかげん飽きてしまいそうな風景だが、木々の間に見えるキラキラと光る水面は、やはりキレイだ。
Hawkshead に着いたのは16時前。
ここにも[i]がある。
バスは Ambleside から、ここを経由して Coniston 湖まで行っている。
(また、小さなバスがBowness から Hill Top まであるようだ。
)困ったことに今日は休日ダイヤで動いているらしく、コニストンへは行けそうにない。
仕方なくアンブルサイド行きのバスを待っていたら、見知らぬ兄チャンから、バスの一日パスをもらった。
感謝。
バスは20分ほどでアンブルサイドの街に着くが、ここから湖までは少し距離がある(徒歩20分)。
船着き場についたのは、船が出た直後であった。
付近を散策する。
ここのユースは、湖のほとりに建っている。
すこし歩いて、湖のドン尻に来た。
この奥に『北極』があるんだなぁ。
ウィンドサーフィンをしている人がいる。
ヨットもいいなぁ。
犬を連れた人々が散歩している。
イギリスの犬って、どうしてこんなに友好的なんだろう?出合ってもケンカひとつしない。
もっとも、見知らぬ人には、愛想が悪いが…。
一時間ほどして、船でボウネスに戻る。
ボウネスの[i]には、本などもある。
そう、ここにランサムの十二冊のペーパーバックがあったのだ。
いや、全部は揃っていない…助かった。
で…でもと、本屋さんに行ってしまったのが大間違い。
十二冊全部を目の前にして、買わずにはいられない。
一万円ほどであるが、買ってしまった。
昨日は湖北だったので、今日は南の端である Lakeside へ行ってみよう。
湖上は風が強い。
三角帆のヨットばかり…と思ったら、ちゃんとディンギーがいた。
もっとも赤色の帆だったけれど。
約40分で Lakeside に着く。
しかし、ここは何もないところだ。
波止場の上でお昼にする。
対岸には気持ち良さそうな緑が広がっているのに、向う岸へ渡る術がない。
湖面の波を見ていると、こちらの陸地も動いているようだ。
のんびりと本を読む。
そう、ランサムの十二冊だ。
では、ここでその十二冊を紹介しておこう。
(手元に本がないので記憶に頼っているが)
-
・Swallows and Amazons 『ツバメ号とアマゾン号』
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シリーズの記念すべき一冊目である。
夏休みに湖に来た子供たちが、初めて自分たちだけでヨット・ツバメ号にのり、ヤマネコ島でキャンプをする。
そこに攻めてきたのが、湖の北部に住むアマゾン海賊。
攻守条約をむすび、海賊のフリント船長をやっつけて…
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・Swallowdale 『ツバメの谷』
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次の夏、ツバメ号は岩にぶつかってしまう。
子供たちは難破した船員になって、キャンプをする。
そのころ、アマゾン海賊は大おばさんの脅威にさらされていた。
一方、ティティとロジャは、霧のなかで迷子になり足を挫き…
-
・Peter Duck 『ヤマネコ号の冒険』
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ジムおじ(フリント船長)の帆船、ヤマネコ号は、Lowestoft の港で出発準備完了である。
ところが、相棒が来ない。
そこに現われたピーターダック。
出港したはいいが、本物の海賊が後を追ってくる。
カリブの小島に隠された宝とは?地震が、竜巻が、一行を襲う。
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・Winter Holiday 『長い冬休み』
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冬休みに、湖にやってきたディックとドロシーは、不思議な光の点滅を見る。
それが、ツバメ号・アマゾン号との出合いだった。
おたふく風邪にかかったアマゾン海賊のナンシーは隔離されたが、おかげでみんなの冬休みがのびた。
その間に、全面凍りつつある湖。
さあ、北極一番乗りは誰だ?岬に、合図の大旗があがった!
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・Coot Club 『オオバンクラブの無法者』
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Norfolk の湖沼地方には、鳥好きな少年たちが「オオバンクラブ」をつくっている。
モーターボートを乗り回す観光客が、オオバンの巣の所に船を舫った。
このままではヒナが孵らない…仕方ないので、綱を解いて船を流した。
たちまち始まる、モーターボートの観光客と、オオバンクラブの追いかけっこ。
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・Pigeon Soft 『ツバメ号の伝書鳩』
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子供たちだけで、先に来た湖。
でも、ヨットは使っちゃいけない。
近くの高原に「金」があるというウワサを聞いた子供たちは、金鉱脈を探す。
山でのキャンプの条件は、水の確保だった。
水脈占いで泉を掘り当てたのも束の間、スパイ?のティモシー、落盤、山火事など、数々の苦難を乗り越え、手にしたものは、はたして「金」か?
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・We didn't Mean to Go to Sea 『海へでるつもりじゃなかった』
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久しぶりの父親の帰国の出迎えに、Harwich まできたツバメ号の一行。
港で知り合った青年のヨットで寝泊りすることにしたが、そのジム青年がガソリンを買いにいったまま、戻ってこない。
潮が満ち、船は錨をひきずって流れ始めた。
おりしも、霧である。
子供四人で、何ができるのだろう?このままでは難破だ。
どうする、ジョン?
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・Secret Water 『ひみつの海』
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休みの残りを、近くの湾内の島に捨て置かれるツバメ号。
未踏の地だから地図作りが仕事だ。
原住民のウナギ族と出合い、地図もはかどる。
しかし、潮の満ち引きは怖い。
町への道(ふだんは海)で、あやうく溺れるところだった。
そして、アマゾン号も合流したけれど、帰る日の朝になっても、まだ未踏地が…
-
・The Big Six 『六人の探偵たち』
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Norfolk の湖沼地方でのお話。
最近、綱を解いて流される船が後をたたない。
しかも、そのそばには必ずオオバンクラブの人間が…。
犯人はだれだ?ディックとドロシーが大活躍。
-
・Missee Lee 『女海賊の島』
-
ヤマネコ号は、順調に中国沿岸を航行していた。
しかし、ロジャーの猿が、ガソリン・タンクに葉巻をポトリ。
爆発するヤマネコ号。
ツバメ号とアマゾン号がたどりついたのは、ラテン語にもえる女海賊、ミス・リーの島。
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・The Picts and The Martyrs 『スカラブ号の夏休み』
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アマゾン家にきていたD姉弟。
ところが大おばさんがやってきた。
近くの「犬小屋」と呼ばれている小屋に逃げ出したけれど、大おばさんの監視の目が…
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・Great Northern? 『シロクマ号となぞの鳥』
-
ツバメ号・アマゾン号・D姉弟の一行は Hebrides 諸島付近を航海していた。
借りていた船のペンキを塗り替えるために立寄った島で、ディックは大発見をする。
なんと、イギリスでは繁殖しないとされている鳥が、巣をつくっているのだ。
名声を求める卵収集家は卵を取ろうとするし、原住民は不審な輩として捕まえようとする。
鳥と卵の運命は…
(邦題については椎野さんに調べていただきました。
ありがとうございます)
湖上からの眺めは、また趣があってよい。
石づくりの艇庫や、湖に突き出た岩の断崖(ダリエンだね[はあと])とか、岸辺の木々の上に広がる草地、そして館。
小さな島々。
風をうけて走る、茶色の帆のディンギー。
(ついに見た!)
突然の爆音に驚いて顔を上げると、ジェット戦闘機が、低くたれこめた雲の下を、南から北へ、湖面をかすめるように飛んでいくところだった。
時々、小雨がぱらつく生憎の天気だが、根性で本を読み続ける。
日が傾くと寒い。
湖上にはヨットなども無く、鳥も静かだ。
湖岸から街に戻って、キドニー・パイを食べる。
これは、早い話がモツ煮込みのパイである。
チップスも食べると、お腹いっぱいになる。
ばたばたと閉り始めた街並みに追われるようにして、宿に戻る。
どうして、イギリスではお店が早く閉ってしまうのだろうか?だいたい18時以降は、パブしか開いていないので、安く手軽な夕食を取るには、急がなければならない。
パブは雰囲気がちょっと怖いし、注文の仕方が場所によって異なるので、なれないとダメですね。
というわけで、毎食、苦労していたのです。
愛しの湖水地方に別れを告げて、北ウェールズに向う。
Oxenholme、Creweで乗り換えて、北ウェールズの海岸ぞいを、ディーゼル・カーはひた走る。
Llandudno Junction でも乗り換え、Llandudno に到着だ。
これは「スランデュドノ」と発音するらしい。
ただし、LLはKの発音になって「クランデュドノ」という説もある。
半島の突端近くのこの街は、西と東に広い砂浜のある、有名なリゾート地であるらしい。
そして、かのアリス・リデルの別荘があったところだそうな。
とりあえずは、前出の「不思議英国」で読んだラビット・ホールに行ってみた。
係員のお姉ちゃんからウォークマンを受け取り、その声(なんと日本語バージョン!)に従って、胎内洞に繰り広げられるアリスの世界を旅する。
感想は…はっはっはっ(はあと)
東に面した海岸は、北も南も小高い岬が突き出した、波静かな湾である。
街はその北寄りにあり、遊覧船の波止場や娯楽施設などもある。
それにひきかえ、西海岸のほうは、いかにも街はずれという感じである。
もっとも、アリスの別荘や、ウサギと穴の像があるのは、この西海岸である。
北の丘(そのまま東海岸の岬になっている)の上から、ハンググライダーが舞っていく。
海の向うに見えるのは、 Anglesey 島だろうか?
沈みそうで、なかなか沈まない太陽に誘われて、街の北の丘に登ってみる。
丘の中腹には遊歩道があるが、さらに上に続く細い道がある。
羊の道だ。
しかも、ちょっとした洞穴などもある。
鳥の視点とまではいかないが、この羊の視点からの眺めは、また格別である。
街を一望しているうちに、日が傾き、半月が輝きを増している。
高緯度のせいか、月が低い。
Llandudno から、SNOWDONIA ナショナル・パーク内を南下する。
Conwy 川の河口付近には、干潟が広がっている。
Betws-y-Coed には、ミニSLもある博物館?があるようだ。
ここから山に入っていく。
ディーゼルが苦しそうだ。
Dolwyddelon をこえた右手に山城が見える。
このあたりには、アホとケムリが登りたくなるような、キレイな山ばかりだ。
カビ臭い、長〜いトンネルを抜けると Ffestiniog である。
なんと右手は、一面のスレートの山。
ここからはBRでなく、FfestiniogRailway という、線路の幅が数十センチの山岳鉄道になる。
ちいさな車両に押込められ、ドアには外から鍵がかけられる。
ここでは、進行方向に向って左側に席を取るのが正しい。
車窓には大自然の風景が広がる。
水と緑の豊富な地帯だ。
約50分で Minffordd(目的地に一番近い駅のハズ)に着いた。
SL・EARL of MERIONETH 号に別れをつげ、駅の外に出る。
駅前とはいっても、道が一本走っているだけだ。
あっ!あれは…「1/4M PORTMEIRION」の看板だ。
あと四百メートル。
ワクワクドキドキしながら、信号のある交差点を曲ったら、ついに来た…と思ったのに、木々の間を道がのびているだけ。
そこから、歩くこと、歩くこと・・・本当の入口は地の果てにありました。
入場料£2・20を払って入る。
ホテルの受付に直行。
空室はあるだろうか?さすがに明日以降は満室だが、今日一泊ならばOKだった。
しかし、値段がスゴい。
ホテルの部屋は最高£百十五。
コテージの部屋でも、最低で£53だ。
私の場合、一人なので十ポンド割引になって£43(一一,七六二円)Anchor3号室が私の部屋だ。
クレジット・カードが使えてよかった。
とはいっても、明日からの宿も確保しなければ…ホテルで聞いてもダメなので、他で探そう。
Minffordd 付近のB&Bは全滅だった。
Prisoner Week End だって。
当然ですね。
仕方ないので Porthmadog へいくことにした。
でもバスも鉄道も、タイミングが悪い。
本数が少ないのが致命的だね。
で、歩いて Porthmadog へ向った。
途中の橋は、歩道が Ffestiniog Railway の線路脇である。
(自動車は有料らしい)
porthmadog の[i]でさがすが、街の近くも全滅だった。
ようやくみつかったB&Bは、街からバスでちょっとかかる所だそうな。
まあ、よしとしよう。
街はずれのBRの駅から、Minffordd へ帰る。
所用時間、たったの5分間!来るときは、40分以上歩いてきたのに。
あの距離は何だったんだ?
「ついに来るべきものが来たんだわ」(ミンキーモモ)ではないが、私は、こうして『村』の住人になったのだ!
朝の6時半に目が醒める。
「ここは何処?」
−『村だ』
「何が目的だ?」
−『インフォメーション』・・・
いかん、プリズナーごっこをやっている場合ではない!霧雨がパラついているようだが、写真を撮りに外へ出る。
人気のない村の中を、孔雀だけが、散歩している。
昨日はあんなに人がいたのに、早朝の村は静かだ。
まるで、「皮肉な帰還」の一シーンのようだ。
とりあえずチェックアウトした後、荷物をフロントに預けて、村以外の部分の探検に出かける。
ここは、広大な丘も敷地の一部分なのだ。
入口の反対側をめざして、山道を歩く。
途中の道ぞいには、分厚いゴム板を打ちつけた棒が、あちこちに置いてある。
火事になったときの用心であろうか?
敷地の北の境界には、スレートの石垣がある。
その石垣ぞいに進み、最後にガケになっているところまで来た。
ずっと向うに Ffestiniog Railway の橋が見える。
昨日はあんなところを歩いて渡ったんだなぁ。
急な道を下り、砂浜に出る。
砂はこまかく、まるで灰みたいだ。
貝などはみあたらない。
水は澄んで、キレイだ。
ふたたび山道に戻り、村の方向へむかう。
細い道を下り、灯台にでた。
村はもうすぐだ。
風が強く、砂が地吹雪のように舞っている。
そういえばTV画面でも砂が煙のように舞っていたなぁ。
お昼は村で食べる。
小雨のため店は混雑しているが、山歩きで疲れた足を休めるために、お茶の最後の一杯でねばる。
テラスを孔雀が歩いている。
プリズナーの格好をした人も見かけるようになってきた。
こんな所にも、コスプレをやる人間がいるとは…人間だれしもお祭り好きなんだなァ。
それにしても、20年以上たっているせいか、村の印象がTVで見たのとは異なる。
Private のカンバンが、やたらあって、中へ入れない所があるからかも知れない。
それにTVでは撮りかたがうまかったのか、もっと広い所のように思っていたのだが。
ナンバー6の家は、プリズナーショップになっている。
ここは、ファンクラブの活動拠点にもなっていて、店主の Max Hora が親切に応対してくれる。
ポストカードやTシャツ、トレーナー、はてはCDまで売っているので、思わず買いあさってしまう。
もちろん、ファンクラブにも入会した。
ああ、散財。
また、コンベンションについても、いろいろ教えてもらう。
会員でなくても、屋外の行事には参加可能とのこと。
ただし、ビデオ上映や講演などは、会員でないと入れてもらえないらしい。
(会報は船便で送るので1ヶ月かかるという。
この場でもらえないのが残念)
15時すぎ、B&Bにチェックインするために、村発のバスで Porthmadog へ向う。
なんと、これが終バスなのである。
これをのがすと、駅まで歩いて鉄道を使うハメになる。
もっとも、今後の往来は遅くまで走っているBRにたよるわけだが…
少々時間が早いので、たまっている洗濯物を処理する。
[i]でコインランドリーの場所を聞いて、オバサン(お姉さんもいた)に混じって、ジャバジャバ・ゴロンゴロンと洗濯や乾燥をする。
しかし、さすが英国、石鹸の自動販売機は、5セント玉を食べても石鹸を出さない。
お姉さんと、ニガ笑いをかわす。
(こぼれている石鹸で洗濯できた)
バスで宿に向う。
ご主人は、人のよさそうなおじさんだ。
遠来の客といった雰囲気でもてなしてくれる。
ウィンダミアでは、ホントに宿のお客さんという雰囲気だっただけに、思わず感謝の気持ちでいっぱいになってしまった。
さて(バスがないので)約2マイルの道を歩いて街にでて、BRを使って村に戻った。
いよいよコンベンションが始まる時刻だ。
スタッフ紹介に続いて、前回のコンベンションの時のビデオ上映である。
はっきりいって、英語がわからん!というより聞き取れない。
ふだんの生活からして、英語につかっていないと無理だろうね。
フランスのニュースで流れたプリズナーコンの様子などのビデオもあったが、21時半、タイムリミットである。
BRの駅に急ぐ。
列車で Porthmadog に戻りバスで宿へ帰りつく。
宿主夫婦にあいさつをして、明日の朝食の時間を7時半にしてもらう。
念のため、7時にノックしてくれるようにお願いして、ベッドに入る。
ああ、今日も一日平和であった。
チェックしておいた宿の前8時2分のバスをつかまえる。
しっかり二階立てだ。
しかもMinffordd 行きだという(PorthmadogからBRの予定だった)。
8時半に『村』の入口についたが、門番のお兄さんが「いいからお入り」といって、入場料を取らなかった。
ただ単に会計が開いていないだけだったのかもしれないが。
9時から、ラリーとの談話会。
プリズナーで何を思ったかを聞かれる。
自分の思っていることを英語にする難しさを思い知らされた。
聞き取ることはできるのに!ラリーさんは、何を思ったか、こんな私に「お昼のラジオに出演してくれないか?」とおっしゃる。
しつこく念をおされたので、OKしたが、どうなることやら?
10時からはヘラクレスホールで、別音バージョンの「地図にない村」のビデオ上映。
どこかオリエンタルムードの音楽である。
つづいてホラー仕立のプリズナーコン・ビデオ。
なんと Max Hora が『村』で殺された…という筋書。
なかなか面白い。
11時15分からは屋外で人間チェス。
TVの再現である。
一般の観光客も、楽しんで見ているようだ。
30分ほどで終了。
さて、いよいよラジオ番組が始まるぞ!というわけで、雑貨屋の上に設けられた臨時のスタジオ(とは名ばかり)に招き入れられた。
『村』の印象や、日本でのTV放送やビデオについて聞かれたが英語が出てこない!数分で解放される。
が、足がガクガクした体験でした。
のんびりとお昼を食べているあいだに、午後の部が始まってしまった。
遅れて入ったホールは人の山。
続いて、屋外でのエレクション・パレードにうつる。
これも、TVの再現だ。
にぎやかに海岸までのパレードを行う。
17時すぎ、宿に帰るために歩き出す。
が、ポートミリオンの出口までのあいだの道で、後ろからきた車の美女が乗せてくれるという。
(もうひとり、同時にひろわれた男がいたのが残念!)そのまま美女ビビアンの車で街まで…と思ったら、夜の宴会場になっているホテルまで連れていかれた。
(途中、ビビアンは脇見運転で車線の中をフラフラするし、なかなかスリリングだ)
ホテルのバーが開くのは18時ということで、しばしホテルの前で待つ。
ビビアンはひろった男と散策にいってしまった。
言葉の壁は大きい!が、ホテルの犬さんと、なかよしになる。
数台の車が次々にやってくる。
みんなプリズナーファンだ。
しかし、ここまで来てしまったが、この宴会はチケット制ではなかったかな?持前の「なんとかなるだろう」根性でガンバルか…
18時頃に、なんとなく開始。
黒ビールを飲みながら、カナダから来た人たちと、なんとか英語で会話する。
食べ物のチケットを持っていなかったけど、「OK?」「OK!」ですんでしまいました。
その時、数人のおバアちゃん達から声をかけられる。
なんと、プリズナーに出演した人たちだ!サインをもらい、写真をとる。
当時のナンバープレートを見せてもらった。
親切な人たちで、ゆっくり話をしてくれる。
聞き取るのはラクだっが、答えるのが大変だ。
「エンジョイ・ユアセルフ?」と、大変よく気を使ってくれる。
また、たったひとりの日本人ということで、逆に取材されたりもした。
ははは‥‥(PRISONER miscellany magazineに載ったTHE CAMBRIAN NEWS を見よ)
さて、20時頃から、元ナンバー2がスペシャルゲストで登場だ。
Patrick McGoohanのことを「パット」と親しそうに呼んで、当時のことを話していたようだ:-) ちなみにPatrick McGoohanは「パトリック・マグーン」と発音する。
話が終って、ポートレイト(写真)の販売&サイン会になった。
すごい人気であるが「アイム・フロム・ジャパン」といったら「from JAPAN」と写真にいれてくれた。
21時もまわり、終バスの時間だ。
おばあさん達に挨拶して、帰途につく。
街までは遠い。
夜も遅いのに、中学生か高校生だろうか、男女十数人がバス停にたむろしている。
不健全な印象はないけれど(むしろ、お祭り騒ぎ的雰囲気)大人たちが見当らない街では、何か変なような気がする。
宿に帰りつくと、老夫婦が起きていてくれた。
お茶とケーキをいただきながら、いろいろな話をする。
こんなにステキなことが多い一日は生まれて初めて!って感じだ。
幸福に包まれて、ゆっくり休む。
いい夢が見れそうだ。
朝8時。
浅い眠りから、ノックの音で目覚める。
今日は、恐怖の日曜日!バスもないので、宿から歩きである。
う〜ん、長い道だなぁ…ということで、来る車に手を振って、ヒッチハイクを試みる。
以外とすぐに止ってくれた車があった。
中学校の物理の先生だそうな。
おかげで、全然早く Porthmadog に着くことができた。
40分以上歩くことを覚悟していたのに…
朝の9時前では、駅も[i]も開いていない。
[i]の前でプリズナーのフランス人、2人に会って挨拶をかわす。
9時を回るのを待って、駅の窓口で、明日のインバネスまでの寝台を予約する。
一等寝台は£22だ。
日曜日の、数少ない Steam Train で Minffordd へ向う。
よく考えれば、この部分に乗るのは、初めてだ。
£1・40の9分間の旅、そして『村』までは30分歩く。
すでに今日のプログラムは始まっていた。
ホールで「ビッグベンの鐘」の別音バージョンを見る。
エンディングなども、一部違っているようだ。
それにしても、ビデオ器材は日本製だ!ソニーのS700に三菱B27。
モニタも三菱とソニーだが、コンピュータ(テロップを流すため)だけはアタリ520STを使っている。
それに、スタッフ間の通信はハンディ無線機使用だ。
午後は、コップの葬式行列で始まる。
海辺のボートのところで、昨日のおばあさん達三人組に再会する。
村の広場では(コンベンションとは関係ないけれど)生演奏である。
例によって人間チェス…と思ったら、その前に「ローバーにやられる男」ってのが、あったらしい。
人間チェスを終って、ホールでのビデオ上映にはいる。
今日も満員だ。
しかし、そろそろ時間だ。
17時すぎ、名残惜しいが『村』に別れを告げてBRに乗る。
同じ所に三泊したわけだが、おかげで、宿のおじさん・おばさんとすっかり打解けた。
日曜日の夜というわけでもないが、お茶やケーキをいただきながら、おばさんの好み?の合唱団のビデオや Ffestiniog Railway の紹介番組を見せてもらった。
おふたりともウェーリッシュということで、英語は外国語らしい。
おばさんがやさしい英語で話しかけてくれる。
おじさんは明朝不在ということで、今夜のうちに最後の挨拶をした。
かたい握手だ。
思わず感激してしまって、少々目が潤んでしまったではないか:-)
ランサムの12冊やプリズナー・コンのおかげで荷物が増えたので、本やパンフなど、当座必要でないと思われるものをまとめて、用意しておいた紙とヒモで小包にする。
税関で中身をチェックするため、セロテープは使ってはいけないらしい。
(もっとも、届いた小包に開封した跡はなかったが…)
8時すぎに目覚めたときに降っていた雨も、9時に宿を辞するときには、あがっていた。
日頃の行いの良さが、こういうところにあらわれるのだろうか。
バスで街に出て、郵便局で小包を自分宛に送る。
荷が軽くなった反動か、友人へのおみやげを買ってしまう。
このおみやげは、帰国するまで持ち歩いてしまった。
なんのための小包やら…
1005発のBRで南下、ロンドンに向う。
プリズナーコンで見かけた顔も、何人かいるようだ。
12時すぎに、単線行き違いのために止る。
対向車が遅れているそうで、約30分間停車した。
その間、ジェット戦闘機が爆音を響かせながら頭上を通過していくこと二度。
30分遅れで、 Shrewsbury に到着した列車は進行方向が逆になる。
1440、20分遅れで Birmingham に着いた。
乗り換えだ。
ところが、1448発予定のICがなかなか発車しない。
なんでも運転手の到着が遅れているのだと。
さすがイギリス、やることがスゴイなぁ。
30分以上遅れて、やっと発車した。
のどが渇いたので、ビュッフェでコーラを買う。
席(もちろん一等!)に戻ってしばらくすると、車内販売が通った。
なんかくやしい。
待っていれば良かった。
Rugby からは、湖水地方に向ったのと同じ線路だ。
見たことのある風景が車窓を流れていく。
そして17時すぎ、ロンドン・ユーストン駅に到着した。
さて、予約した寝台は21時すぎの発車。
あと4時間ある。
明るいうちに、スコットランドの[i]に行き、パンフレットを漁る。
適当に歩いていたら、ソーホーのあたりに出てしまった。
お腹がすいたので、夕食がわりにキドニーパイ+チップスを食べる。
復活した体力にモノをいわせて、ユーストン駅まで、ぶらぶら歩いていく。
やはりロンドン、地方とは違うなぁと実感したのは、ユーストン駅のベンチに座っていた時だ。
フッと目の前に若い女の子が立って手を出す。
は?と思ったが無視していると(何が何だかわからない :-)スッと横に移動して、隣の人にむかって手を差し出す。
どうも物乞いのようだ。
しばらくすると、今度は若い男が同じように回ってきた。
若い酔っ払いもヒンシュクものである。
酔ってグダグダ言っている。
(言葉が不明瞭で、聞き取れない:-)なんだか、イギリスの悪い面を見てしまったような気がした。
2045分に列車が入線する。
さっそく乗車。
しばらくして車掌(女性)が、検札をかねて、明日朝のお茶の時間を聞きにきたので、到着1時間前にしてもらう。
2112、衝撃とともに動き出す。
ベッドに寝ていたら転げ落ちるような衝撃だ。
が、しばらくして停車。
駅でも何でもないようだ。
動かないまま、22時すぎにライトを消して、寝はじめる。
2215、やっと動き始める。
眠っている間に、寝台車の説明を…一部屋にベッドはふたつ。
上のベッドは、たたんである。
壁から小さなテーブルが広げられるようになっている。
ここに、モーニングティをのせたトレイがぴったり収まるのだ。
窓側にある荷物置場?を持上げると洗面台があらわれる。
また、ベッドの足の方の台も、上にあげることができる。
ゆったりしていて快適なベッド。
予備の毛布も棚の上にのっている。
洗面台では、しっかりお湯も出る。
当然、水もでる。
が、飲用不可なので、小さなミネラルウォーターのパックが置いてある。
各枕元には蛍光灯の明かり。
エアコンもついている。
ベッドと反対側の壁には、隣室へのドアがある。
当然、しっかりカギがかかっている。
タオルも備え付けの物がある。
案外、清潔だし快適である。
さすが一等寝台!
真夜中すぎに、一度目が醒めた。
月の光がキレイである。
神々しい雰囲気だ…と思いつつ、また眠りに落ちる。
6時に目が醒める。
通路に出て、大きな窓から眺めを楽しむ。
雄大だ。
丁度、日の出を見ることができた。
Stirlingを通過。
川から霧が立ち上っている。
そんなに涼しいのだろうか?あ、虹が見える。
七色(イギリスだから六色?)の光が、大きな半円を描いている。
他の乗客がまだ眠っている間の、荘厳なひとときだ。
8時すぎ、車掌さんがまわってきたので、お茶をたのむ。
すっかり明るくなってしまった景色を眺めながら、熱いお茶をすすり、ビスケットを食べる。
しかし30分ほどで下げられてしまった。
(あと一杯分、残しておいたのにぃ〜)ずいぶん遅れて0920、Inverness 到着である。
こうして、丸一日、約千三百キロにわたる移動は、たいした疲れもなしに、幕を閉じたのである。
駅前でジェット戦闘機 Jaguar GRI が出迎えてくれた。
[i]でYHの場所を聞き、そのままYHに向う。
大きなYHだけに、愛想が悪い応対だ。
少々臭いベッドに荷物を置いて[i]に戻り、観光プランをたてる。
天候が不安なので、自転車を借りて湖一周というのは断念せざるを得ないなぁ。
残念。
かわりに、ちょうど「ゴードンのミニバス・ツアー」というのがあったので申込む。
10時半、マイクロバスが[i]の前にくる。
運転手兼ガイドのチャーリーさんと観光客13人という、スシ詰め状態!運転しながら英語で解説をやってくれるのはいいのだが、さっぱり理解不能である。
途中、ゴードンさんの家?でお茶を飲みながら、自己紹介のひととき。
日本人は、会社員の男性、語学研修の女の子、それに私の三人である。
他はみんな英語圏の人々…:-X
ふたたびマイクロバスに押込められて、スコッチの工場へいった。
麦芽・発酵・蒸留・樽づめ・熟成といった全工程を見せてもらい、シングルモルトのスコッチを試飲する。
う〜ん、デリシャス。
また少し走って、ホテルのレストランで昼食である。
みんなチャーリーさんお勧めのスペシャル・ランチを注文する。
バスは丘陵地帯を走る。
小さな池の見える所で一時休憩。
一面のヒースの原っぱである。
こんなところで、ずーっとお昼寝をしていたいなぁと思ったが、すぐ出発。
そして、やっとネス湖とご対面である。
湖畔には、よく絵葉書でみるお城があった。
くずれかけたお城の入場料が£1とは…柵の外から眺めるだけにしておこう。
駐車場では、スコットランドの衣裳をまとったおじさんが、バグパイプの演奏をしている。
観光客から、いくらかのコインを稼いでいるようだ。
小さな棧橋まで降りて、湖水に手をいれる。
冷たく澄んだ水だ。
赤茶色の丸い小石に、ほとんど寄せる波もない。
水中には長さ2センチぐらいの稚魚?が一匹いるだけで、その他に生物の気配がない。
ネッシーは何を食べているのだろうか?
そこから船で30分、これもバス・ツアーの一部だ。
再びマイクロバスに詰込まれ、途中でお茶タイムをしながら街に戻った。
約6時間の旅、YHに泊っているので£7ですみました。
先ほどの男性も同じYHの宿泊ということで、夕食を一緒に自炊することにし、スーパーで米などを仕入れる。
メニューは、キャベツとベーコンの炒め物だったが、キャベツがかたすぎた。
(自炊したことのない男性が相棒だったのが、失敗の一因だったようだ:-)仕方ないけれど、なんとかお腹につめこんだ。
北の地を去り、一路南への列車に身をあずける。
一足先に出発した相棒の作っておいてくれたサンドイッチを食べながら、お茶を飲んでいるうちに、4時間程でスコットランドの首都エジンバラに到着した。
次の目的地はどうしよう?実は何も考えていなかったりするわけだ。
エジンバラ大学にいる岡田さんに会うのもいいけれど、観光日本人が山盛りになっているのはイヤだ!駅の時刻表と、地図をみくらべる。
岡田さんおススメの Berwick upon tweed にしよう。
ということで、15時半発のICの一等席に座った。
すぐに車内販売がまわってきて、お茶を押売りしていく:-)ちゃんとしたカップに、ドリップ式のお茶だ。
75ペンス。
ゆれる列車に苦労しながら、最後のサンドイッチを流し込む。
エジンバラを出た列車は、すぐ海沿いを走る…と思ったら、少し内陸部に入ったようだ。
やたらカーブするので横Gがきつい。
16時前、低い雲の下をジェット戦闘機が飛ぶのを見た。
丘の間を一直線に飛び抜けていく。
爆音がジェット戦闘機の後を追いかけていく。
一時間弱で、ベルウィック着。
駅は街外れである。
街の中心はどこだろう?郵便局で、車中で書いたハガキを出すついでに[i]への道もたずねる。
同宿になったスウェーデン人カップルと共にお茶をいただく。
6時前に、洗濯物を持って「コインランドリーないですか?」と聞いたら「知らない。
私が洗ってあげよう」というので、お言葉に甘えてしまい、私は散策にでる。
一時間足らずで街は一周できる。
夕食をすませた頃、小雨が降り始めた。
7時半ごろ宿に戻ったが、疲れていたのか、そのまま眠り込んでしまった。
お茶にさそわれていたのに‥‥
8時前に目覚めるが、もう日は高い。
8時半の朝食で、スウェーデン人カップルがベジタリアンだということがわかった。
宿のおばさんも「ああ、そうなの」という感じで対処している。
朝食のメニューは、コーンフレーク、目玉焼にベーコン、ソーセージ、普通のパンにトーストである。
ミルクたっぷりの紅茶がおいしい。
10時前、[i]前の電話ボックスから、懸案のリコンファームに挑戦。
飛行機会社に電話で予約の確認をするのだ。
(さもないと乗れないことがあるそうな)ロンドンの[i]で聞いておいた番号に電話をかける。
日付と便名を告げると「その便は時間が変更になった」という。
聞き返しているうちに、コインがなくなって電話が切れてしまう。
しかし、ドッと疲れてしまった。
また後で確認することにしよう。
リンゴやピーナッツ、シュェップスをスーパーで仕入れ、モント(昔の土盛りの城壁)の外の公園でひなたぼっこをしながら食べる。
風が冷たく、太陽の暖かさがありがたい。
こちらの人間が太陽に執着するのがよくわかる。
街中を歩き回ったあと、酒精と陶器の博物館/店/工場などを見学する。
足も疲れたし、寒さにも負けてしまい、3時すぎに午後のお茶としゃれこむ。
ジャム・ドーナツとお茶で80ペンスは安い!そのお茶一杯で、一時間半ほどねばってしまいました。
お茶を終えたものの、外は依然風が強く、歩き回る気がしない。
すぐに根負けしてしまい、フィッシュ&チップスのお店に入る。
定番だけれども、チップスとコーラを注文する。
なんと、コーラは180CCのビン入りだ。
しかもチップスもお皿にのって、フォーク付きで出てくる。
ウェイトレスが可愛いかったのでチップに10p払う:-)
6時前に宿に戻り、シャワーをあびる。
疲れはたいしたことがないが、とにかく今日は寒かった。
風呂上がりのホカホカ気分のまま、かるくひと眠りする。
9時前に階下におりると、老夫婦が先におられた。
雑談(といっても、私には真剣勝負:-)とお茶を楽しむ(?)TV映画を見始めると終らないので、一時間ほどで辞して、ベッドに入った。
それにしても、ベルウィックという所は、何を見る…というような街ではないが、古い時代の人の生活を垣間見るような、そんな気分にさせてくれる。
潮の干満で姿を変える河岸、人を寄せつけない城壁の土盛、今は亡き館の跡、入口のない塔、三本の橋…色々なお話の題材になりそうだ。
(海沿いのゴルフ場だけは許せないけどね)しかし、ホリーアイランドに行けなかったのが残念である。
朝日も眩しい午前8時起床。
朝食は、昨日のメニュー+トマトである。
食後すぐチェックアウトして駅に向ったが思ったより時間をくってしまった。
丁度列車がきていたので、駅員に聞いたが、なんと逆方向の列車でした。
どうも方向感覚が逆になってしまっているようだ。
30分ほどして来たロンドン方向のICに乗る。
1012発。
朝は晴れていたのに、どんよりとした雲が空一面に広がってきた。
しかも、遠くの山々はぼんやりと霞んでいる。
11時半、例によってお茶の押売サービス:-) ここまで南下すると、雲も少なくなってきたようだ。
車内アナウンスでペーターバーグに止るようなことを言っているので、地図で地名を捜す。
見ると細い線(鉄道を示す)が、ランサムの世界・ノーフォークの湖沼地方へとのびている。
どうしよう?
検札にきた車掌さんに聞いてみると、親切にも、ぶあつい時刻表を調べにいってくれた。
その結果、16時すぎには Norwich や Ipswich に着けそうだ…ということで、1305 Peterborough でICを降りる。
ホームの案内所で、ノーフォーク方面へのローカル時刻表をもらう。
でも、とりあえず駅の案内表示によれば、ノリッチ(グレートヤーマス)行は少々遅れて1409発予定になっている。
さらに遅れること少々、1412にローカル列車は走り出した。
途中、Ely という水上レジャーの基地になっているような街を通る。
1537Norwich で反転、GreatYarmouth に到着したのは16時すぎ、雨が降りだしたヤーマスの街を[i]を探して通り抜ける。
その[i]は海岸ぞいの大通りにありました。
で、宿は…ちょっと遠い!しかも予約でなく、電話連絡のみというサービス。
やっぱり観光地はダメですねぇ。
さんざん歩いて、少し迷ってホテルに到着。
荷物を整理したあと、街を探索に出る。
まず行った[i]は、タッチの差で1730に閉ってしまったようだ。
ホントに一大リゾート地という感じで、ゲーセンにはセガやタイトーの機械がずら〜っと並んでいる。
ランサムの時代の雰囲気はこれっぽっちもない。
さて、夕食に入ったレストランでちょっとした問題が起こった。
例によってキドニーパイとレモネードの夕食だったのだが、支払にトラベラーズチェックを使おうとすると、拒否されたのである。
現金が辛うじて足りたので、その場はOKだったのだが、足りなかったらどうなっていたのだろう?
気をとりなおして浜にでる。
砂はこまかく、サラサラと足がもぐる。
ぶらぶらと海岸を歩いたあと宿にもどり、洗面器にいれたお湯で足先を暖める。
これが、なかなか気持ちがいい。
22時すぎに寝る。
朝食はいつものようにイギリス風であるが、うれしいことがひとつ。
給仕してくれたお嬢さん二人が美人であった。
こういう娘にアリスの格好をさせると似合うのだろう。
でも、あと数年もすると母親みたいにブクブク太るんだろうなぁ。
(いかん、これではロリコンと言われてしまう:-)
9時半に宿を出て[i]に行く。
地図を買おうと思ったが、なんとトラベラーズチェックを拒否された。
郵便局でも使えない!仕方がないのでデパート内の両替所で現金化する。
最低£3の手数料だって…ブツブツ・・・
[i]で貸自転車屋の場所を聞くが、イマイチはっきりしない。
とりあえず北のほうにあるというレジャーランド?の住所をもらい探しにいく。
ガソリンスタンドで住所を聞いたりして1時間、2マイルほど歩いてやっと発見した。
そこは、トレーラーハウス置場に隣接した小さなところであった。
シーズンも終ったのか、閑散としている。
貸自転車(スポーツタイプ)は一日£5にデポジットが£5。
湖沼地方の地図も買って、いざ出発!
ここへきて、ランサムの本を日本に送ってしまったことを後悔する。
じつは、どんな所が舞台になっていたかの記憶が定かではないのである。
それに川ぞいに道がないので、不便そうだ。
とりあえず、イラストが記憶にあるポターヘイガムに向うことにする。
それにしても、暑い!途中の雑貨屋でレモネードの大瓶を買う。
そのままA149号線を走っていたら、途中に水面が見えた。
自転車を道の脇にとめ、湖水におりる。
釣りをしている人が数人いるだけの静かなところだ。
汗が引くのを待って走り出す。
麦畑?をわたってくる風は熱気をはらんで、思わずレモネードを飲んでしまう。
12時すぎ、PotterHeigham の橋に到着。
ほんとうに小さな古い橋と、新しい橋がならんでいる。
よくこんな所をヨットが通過するもんだ。
素人のためには、水先案内人が橋の通過をやってくれるようだ。
この付近は、川ぞいに狭い道があり家が並んでいる。
どの家にもヨットやボートが舫えるようになっている。
さすがだなぁ。
川ぞいの道が Acle まで行けそうな気がしたのだが、悪名高きパブリックフットパスは自転車では行けない道でした。
仕方ないので太い道に出て(暑さと空腹に負けて)グレートヤーマス方向へ戻ることにしました。
だって、帰りの道も、行きと同じ距離があるんだもん:-)
帰る途中でも、あきらめ悪く川への接近を試みる。
フットパスの入口に自転車を置いて歩いていくと、なんと柵があって馬が放牧されている。
その向こうにフットパスの標識が続いている。
馬をおどかさないように遠回りして、土手に立つ。
アシ原の向こうに広い川面が光っている。
帰る途中、馬たちに挨拶をする。
耳をピクピクさせてこちらの挙動をうがかっているので、なるべく音を立てながらゆっくりと近づいたら、数十センチまでよれた。
馬をこんなに近くでみたのは初めてだが、知的な目がかわいい。
4時前にヤーマスのヨットハーバーでお茶にする。
といっても、ミルクとティーケーキだけれども。
椅子にすわって、川を上下する船(主にモーターヨット)を、ぼんやり眺める。
青空がきれいだ。
太陽が川面に映って二重に眩しい。
貸自転車を返してからもハーバーに戻り、1920の日没まで風景を堪能する。
これだけぼんやりする時間があったのなら、体力の許す限り遠くへいけばよかった…と少々後悔してしまった午後のサイクリングでした。
残りの日程も少なくなってきた。
次はどこに…と思いつつ、地図と駅の時刻表を交互に眺める。
Ipswich にでも行ってみようか。
ダメでもロンドンに今日中に着けるだろうし。
1019に発車した列車はブレイドン湖ぞいに走る。
(来たときとは違うコース)Norwich まで35分、ロンドン行のICに乗り換え、45分でイプスウィッチ到着だ。
ビジネスの中心という雰囲気で、人気が少ない街を[i]の標識を頼りに街中へむかう。
が、みつからない。
確かにこのへんにあるハズなのに!見つけた扉には鍵がかかっていました。
通りががったオバさんが「サンデー」だと言っているし、どうも日曜日が休みの[i]らしい。
困ったもんだ。
電話で宿を探すのも何だし、遊びの施設なんかも無さそうな街なので、とりあえず駅に戻ることにする。
ピン・ミル(ランサム「海へ出るつもりじゃなかった」参照)方面への交通手段が見当らないので、Felixstoweか Harwichへ行って見よう。
駅のインフォで時刻表を調べてもらったら、ハリッチ行の列車があるという。
[i]もあるようだし、今日はハリッチにしよう。
途中「海へ…」に出てきたオランダ行の大型客船の乗場がある。
大半の客はここまでのようだ。
その先 HarwichTownは、さびれた終点の駅だった。
こんなところに[i]が?と思ったとおり、[i]は先程の船付き場にあるようだ。
おりかえしの列車で先に進もう。
とりあえず開いていた店で飲み物とケーキを買い、浜辺で食べる。
上流から風が吹いているので、川をのぼる船は間切らなければならない。
逆に、くだる船は帆をいっぱいに開いている。
波は穏やかで、外海がすぐとは思えない。
大きな船の間を、小さな機帆船がうまく通っていく。
そろそろ行くか…
14時すぎに、絵はがきを買いに入った店にB&Bの表示があった。
迷ったあげく空室があるか聞いてみるとOKとのこと。
ここに一泊することに決心する。
部屋に案内してもらったあと、居間でお茶をいただく。
遊んでくれと座敷犬がすりよってくる。
フェリクストゥまでの連絡船に乗る。
20分程の間に、ブイや灯船、ピン・ミルのことなどをアナウンスしていたようだが、ほとんど聞き取れなかった。
乗船場付近はコンテナヤードになっていて、他に何もない。
バスも来そうにないので、街まで歩いていく。
外海側は、まるで外房のような海岸が広がっている。
水辺だけ砂で、あとは砂利の浜だ。
リゾート地なのも外房そっくりだ。
[i]で付近の地図を探すがみつからない。
浜を歩いて乗船場まで戻る。
最終の船を待つ間にも、ヤマネコ号のような三本マストの帆船が、ゆっくり川を上っていく。
最終のフェリーでハリッチ側に戻る。
ぶらぶら歩いて宿の前まで戻ったが、何もない街だ。
宿のご主人が手を振ったので、夕食をどこで食べるといいか聞いたら、通りの向いの店を教えてくれた。
またしても、パイとチップスにコーラの夕食である。
喉が渇いていたので、生ぬるいコーラをおかわりする。
宿で一段落したあと、お茶をいただく。
ご主人は1950年から4年半、朝鮮戦争で岩国にいたそうな。
21時頃、アベックの客登場。
そのままズルスルと税金の話になって、出るタイミングを逸する。
意見を聞かれたりするが、イギリスの税制もわからないし、第一タックスとしか言いようがないではないか。
イギリスの雑談として税制をけなすというのを聞いたことはあるが、体験したのは初めてだった。
朝食後、少々TVをみて10時すぎに宿をでて浜にいく。
ちょうど干潮をすぎた頃であった。
波打際まで行ってみると、潮が満ちてきているのが、よくわかる。
毎波ごとに少しづつ足元にせまってくる。
泥の部分に残る水鳥の足跡がかわいい。
朝早いせいか、それとも干潮のせいか、帆を上げている船が少ない。
しかし11時頃になると風もでてきて、数隻が川を下っていく。
水先案内所?の掲示によると、今日の干潮は0826、満潮は1504である。
高層の雲のせいか、太陽の回りに光の輪ができている。
今日のお昼もケーキとお茶である。
食後に浜に戻るが、日が陰って風も強くなり少々寒い。
ちょっとした岬の先端で潮の流れを見る。
思ったより早く、波頭をたてて流れている。
約1〜2m/sというところだろうか。
岬のつけねの丘には高射砲の陣地や地下豪などがあって、何か引寄せられる。
あぶない、あぶない。
さらに南の海岸は外房のように、ホテルやコテージ、海の家などが並んでいるが、人影はほとんどない。
サッカー場でガキ達がサッカーをしているのみである。
浜には導灯?がある。
あとで見にいこう。
街に戻り、郵便局で絵はがきを買い、その場で書いて出す。
波止場では、高圧放水でブイを洗っている。
放水だけで、案外キレイになるもんだ。
ヒマなので、隣町まで歩いていく。
途中で、また岬のつけねの丘に引寄せられる。
逃げてばかりいるのも性に合わないので、ワインやマッチを買う。
レモネードとチップスでお腹を満たして、丘に向う。
一番感じる地下豪の入口(コンクリートで半分閉じてある)でチップスの包み紙に火をつけ、ワインをまき、印を結ぶ。
不思議なもので、気が楽になった。
浜へ戻り、日没まで海を往来する船を眺める。
船は何を思い、海を往くのだろう?パブに入り、1パイントのビール(とチキンバーガー)で、少々メロウな気分になってしまったようだ。
変なことに気力を使ってしまったのでホームシックが今になって出てきたのだろうか。
それとも、イギリスにあと3日しかいられないからだろうか。
宿に帰って風呂をあび、ご主人と静かなティータイムを過ごす。
部屋に戻ったあとも、ベッドの上に地図を広げて、今までの道のりを見る。
そして明日以降の(といってもロンドンへ行って日本へ帰るだけだが)道を確認する。
過去半月の旅路が、走馬燈のように頭のなかをかけめぐるが、22時すぎ、就寝。
チェックアウト後、もういちど街を一周してから駅へいく。
一等の6人個室に席をとるが、他に人がいない。
放置されていた新聞をパラパラとめくっているうちに寝てしまったらしい。
1時間半が、あっという間だった。
1120、リバプールストリートに着く。
地下鉄でビクトリア駅の[i]に行き、安い宿を探してもらう。
大学の寮が一番安いようだ。
手数料とデポジットで£17を払い、ユーストン駅のそばにあるという大学の寮に向う。
ちょっと迷うが発見。
手続がのろいが£21を払って部屋へ上がる。
なかなかいい所だ。
14時、寮を出て赤バス73系統に乗り、一路ハイドパークをめざす。
が、ひどい交通渋滞でなかなか進まない!どうせ70pだから地下鉄でも良かったのかもしれないが、何事も経験だと思ってあきらめる。
ちょっと手前でバスを降り、ハイドパークから少々南に歩いたところにある Science Museum に入る。
これが、すごい!としか言いようのない博物館だ。
交通部門では、ヤマハやカワサキのバイクから、ホンダのカブまで置いてある。
プリズナーのシンボルのような自転車も並んでいるところが嬉しい。
圧巻は計算機のコーナー。
Babbage の Difference Engine や Analytical Engine が展示してあるそばに、PDP−8が!もっともTTLを使った論理回路の説明などは陳腐な感じがするが、仕方ないでしょう。
展示だけでなく、さわったりして経験できるモノがあるのも、日本の博物館では見られない。
こういったノリは横浜こども科学館みたいで楽しい。
が、途中でお茶とサンドイッチを食べたおかげで時間切れとなってしまった。
閉館15分前なのに「ハリーアップ」と追い立てられてしまう。
残念。
ハイドパークの花の小道は、リスやハトが多いと聞いていたが、これほどとは思わなかった。
人を怖がらないでチョコマカと走り回るリスたち。
子供たちの与えるピーナッツをバリバリとカラをむいて食べている。
最大、同一視野に7匹。
一匹シッポの短いヤツがいるがどうしたのだろう?
デパートの地下でジュースやパンにビスタチオを一袋買って、今日の夕食にする。
もちろん、ビスタチオはリスのためである。
博物館内が暑かったせいか、風が心地好い。
1930、日没とともにリスやハトは寝ぐらに帰っていく。
私も寮に帰ろう。
7時半起床。
ところが8時からのはずの朝食の準備ができていなく、並んで待っている。
しかも、サービスがはじまってすぐなのに目玉焼が品切れ。
お茶は濃いし…パンはパサパサ。
ああ、ロンドンは悪いところだ:-X
10時から大英博物館が開く。
そこへいく途中、二度も道を聞かれた。
こちらも旅行者で、道には不案内なのに:-)大英博物館では、とりあえず部屋番号順に見てあるくが、パルテノン神殿や大きなライオンの像のところで、背筋にゾクッとくるものがあった。
足の裏がひきつるような感じがするのは、疲れのせいか、はたまた霊のせい?歩きつかれて昼前にお茶にする。
途中でマレーシア航空に出発時刻確認の電話をいれる。
ぐるっとまわって、大英博物館の北口に戻り、日本関係の展示を見る。
まぁ、こんなもんでしょ。
トラファルガー広場で、途中で買った水(なんと冷たい!)と昨日のパンで昼食にする。
ここは、昔の大阪・天王寺のようにハトが多い。
噴水の水がカルキ臭いのが、玉にキズだ。
つづいてナショナルギャラリーに入る。
それにしても画家ってスゴイなぁ。
見て、物事をとらえ、記憶し、感性と本能で描く。
もっとも宗教画が多いのには辟易したが。
コベントガーデンに下に、Theatre Museumを発見。
しかし、あまり面白いものではなかった。
さらに歩いて、St.Paul寺院へ。
映画「メリー・ポピンズ」のシーンを思い出すが、周囲のビル街をなんとかしてほしい。
ここの[i]には『日本語が話せます』という張紙が…
ズンズン歩いて、ついにロンドン塔にたどりつく。
もうすぐ18時ということで、ここも閉館である。
写真をとろうとして、塀に登るのをしくじり、足を強打してしまう。
失敗…
地下鉄でウエストミンスターに向う。
もう18時半なのに教会の日時計は17時半を示している。
日時計はGMTで動いているのね。
Westminster Abbey では飽きたらず Westminster Cathedralに、何かに引き立てられるように向う。
Cathedral を見て、なぜか満足感を覚える。
閉りかけの本屋さんで地図を買う。
いろいろ選んでいたら、店員が「店を閉めるので、早くして」と言ってきた。
スーパーでメシの種を…と思ったが、こちらも閉店。
仕方ないのでマクドナルドでチーズバーガーとピュア・オレンジジュースの夕ご飯となる。
ビクトリア駅の本屋さんは、まだ開いていたので、雑誌などをパラパラ見て歩く。
地下鉄でユーストンに戻り、ここの本屋さんでも地図や旅行書を見る。
結局、寮に戻ったのは20時すぎでした。
風呂にも入らず、バッタリと寝る。
7時起床。
荷物整理をするが、昨日の経験をいかし、8時5分前に食堂におりる。
目玉焼は十分にあるようだ。
今日はスムーズに流れる。
目玉焼にベーコン・ソーセージ・パンに紅茶の、イギリス風の朝食もこれが最後かと思うと、おいしく思えてくる。
飛行機にだけは乗り遅れたくないので、はやめ、はやめに行動することにする。
それに朝早くでは、どこも開いていないでしょう。
9時前に寮を出発。
地下鉄でヒースローをめざす。
切符の自動販売機は90pのお釣りが出せないらしく、何度かトライした後、窓口で購入するはめになった。
約1時間でヒースロー空港である。
車内の表示で、マレーシア航空がターミナル3だということを確認して下車する。
ヒースローはターミナルが4つあって、駅も違うので用心してほしい。
駅からカウンターまでの地下道も、案内がしっかりしているので迷わないでしょう。
カウンターでチェックインする。
席は29H。
さて一安心だ。
出発時刻までの2時間を、どう過ごそうか?
おみやげを買うほどお金持ちではないので、本を読んですごす。
天井の水銀灯が時々チラチラとしたかと思うと、フッと消える。
時計を見ると1120、案内板は LAST CALL になっていた。
X線検査を抜けて出国手続をすませる。
たった10秒、ハンコをポンで終了。
なんとまぁ入国審査と異なることよ。
飛行機の待つゲート27は遠い。
ゲートに着いてまもなく、席の番号順に搭乗開始である。
1145着席。
29Hはギャレーの横である。
となりはアベックのようだ。
1218タキシング開始。
だがすぐに止り、いったり止ったりを繰返す。
1238、やっとテイク・オフ。
すぐにピーナッツとジュース/ビールがやってきた。
ジュースを選ぶ。
14時すぎに昼食。
ちゃんとチキンがやってきた。
ジュースもおかわりをもらえたのだが、やはりハプニング。
お茶のおかわりのかわりに、コーヒーを注がれてしまった。
マーフィーの法則はここでも生きているようだ。
16時すぎに映画上映が始まったが、なんと音声が出ない。
機械の故障だという。
なんとも、御粗末な飛行機だ。
何度かジュースをもらったせいか、頼まないのに余ったらしいジュースを置いていってくれる。
でも、ほとんど水だ。
空気がカラカラに乾いているので、メモや本などの紙がすぐに丸まってしまう。
水のようなジュースでも、ありがたい。
おなかがへって死にそうなので、20時すぎに「Something to eat」といったら、笑いながらサンドイッチとフルーツケーキのパックを出してくれた。
あっという間にたいらげる。
とりあえず満足。
酔っ払いのウヰスキー攻撃(酔ってグラスを落とし、酒が私の足に直撃!)とか、となりのアベックのベタベタ・イチャイチャ攻撃を受けながらも、23時すぎにおしぼりと朝食の時間がやってきた。
時計をイギリス時間から日本時間になおす。
(+8時間)
それから1時間後の8時、夜明け(日出)である。
ドキドキする一瞬。
この色あいが写真に残ればいいのだが…と思いつつシャッターをきる。
下方の雲はまだ白く、上にいくにつれ紫〜バラ色にそまっていき、太陽の光に近いところはオレンジ色に輝いている。
そして、地平線の雲の中に小さな弓のように見える太陽。
次の瞬間、太陽の光が全てを圧倒する。
やはり太陽は水平線下ギリギリが一番美しいのではないだろうか。
それにしても、ほとんど予想通りの日出の時刻でした。
席に戻るまもなく、飛行機は降下を開始した。
9時前にクアラルンプルに到着。
次の飛行機はMH70、11時(現地時刻10時)発である。
行きと異なり、日本人が多い。
1020搭乗手続開始。
なんと、X線検査のところにウエストバッグを忘れて取りに戻るハメになってしまった。
大失敗!
DC10の座席26Hは、モロ翼の上だ。
日本行きということで、日航のスチュワーデスさんも乗っておられる。
おしぼりを落としそうになって「すみません Is it frozen?」と日本語が出てしまうところがおちゃめである。
13時に昼食。
1535、台北に到着。
飛行機から降ろされるが、何もすることがない。
窓ぎわがベンチのようになっていたので、そこに座って窓の外の飛行機をながめる。
17時ちょうどに台北を離陸。
18時すぎには夕食の牛ステーキがでる。
1時間ほどで飛行機がゆれはじめ、シートベルト着用のサインがでる。
そしてストンと落ちる感じ。
機内では「キャー」とも「オー」ともつかない声がした。
20時少し前、成田にタッチダウン。
検疫、入国審査はあっというまにパス。
税関では「どこから?何日?カバンの中身は?日本に持ってきちゃいけないものないね?」と言われたが、無事にパスした。
出てすぐのカウンターで、京成上野までのバス〜普通電車の切符を買う。
日本はとにかく暑い。
それも湿気でむし暑い。
「あとひといきだっちゃ。
みんなでガンバロー」(うる星やつら2)
2042京成の急行が発車。
2212上野着。
地下鉄で中目黒を経由して東横線日吉、学校についたのは23時半でした。
さっそく計算機にログインしてたまっている二百通以上のメールを読む、というよりはながめる。
日が変って午前2時前に、学校を出て家まで歩く。
そして
旅は終った。
冬コミには落ちましたが、夏になってなんとか出すことができました。
BCNU第2号は1990年8月25日から9月14日までのイギリス旅行の記録です。
当初の目的の「自分の言動の記録としての個人誌」ができて、本当に嬉しい思いです。
今回は『ツバメ号とアマゾン号』『プリズナーNo.6』でせまってみました。
その昔に、読んだ/見た記憶が、よみがえってきたでしょうか?
める様からの絵葉書(もっと古くは、ランサムの12冊)に始まった私のイギリス病は、少々重症のようです。
まだ行っていない/見ていない/感じていない所が多すぎます。
そう、旅は心でするものじゃないでしょうか?作品の創造者が感じたであろう、大自然の「気」を感じ、自分で消化する…そして(できるならば)自分でも創造してみる…そんなことができるといいなぁと思います。
最後に「BCNU」とは、TV映画『プリズナーNo.6』の中で使われていた言葉で“Be seeing you”つまり“再び会いましょう”という意味らしいです。
“ビーシーンユー”と発音します。
(ちなみに「あとがきにかえて」は早川SF文庫の『宇宙英雄ローダンシリーズ』からとりました:-)
BCNU Vol.2
『不思議英国ワンダートラベル』の号
Ver.1(コピー版) 1991年8月17日発行
発行:R.田中二郎
E-mail:jiro@nerimadors.or.jp
Copyright 1991,1995 TANAKA Jiro